| MYデザイン12 (デザイン第1号) |
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1970年、当社デザイナーAがまだ修行3年目の頃、松江市のモードチェーン宝屋のN様から、宝屋ユニフォームセンターのシンボルマークのデザインの依頼がきました。
コンセプトは「ひまわり」、制作時間があまりない中、デザイン依頼をしていただきましたN様の気持ちを意気に感じ、試行錯誤しながら、情熱を注ぎデザイン制作しました。
当時は提出デザインは1点でした。今では考えられないスタイルです。
それが見事に採用になり、営業カタログ、新聞広告等に掲載されました。
宝屋ユニフォームセンターはその後、東洋ユニフォームセンターに社名変更されましたがマークはそのままで、現在も使用しておられます。
この仕事との出会いがきっかけで、グラフィックデザイナーAは、マーク・ロゴデザイン制作が得意のジャンルになり、現在に至っております。
あれから30年の時を越えて出雲に出雲店を出店され、デザイナーAの作品第1号であることを改めて再確認させていただきました。
私どもの原点になっている思い出のデザインです。
(写真は東洋ユニフォームセンター出雲店外観ですロゴタイプと看板は、当社制作ではありません) |
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| MYデザイン11 (塩冶野球スポ少) |
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塩冶野球スポーツ年団は1996年に発足しました。
指導モットーは、元気のある挨拶の励行、感謝の気持ちを持つこと。自分から進んで行動する積極性、他人のせいにしない責任感。思いやる協調性を育むを信条にしています。
塩冶スポ少では、1998年に子供達の活躍を掲載した、スポ少新聞「熱球えんや」を創刊しました。
2001年には、シンボルマークのデザイン制作をいたしました。このマークは、帽子、ユニフォーム、Tシャツ、ジャンパー、ヘルメット等にに使用しています。
2005年には、10周年記念に伴い、一生の記念に残るものとして、10年間の選手名鑑を制作しました。
スポ少指導者の願いは、高校まで野球を続けて欲しいことです。
将来、社会人になった時に、体力、精神力、そしてきちんとあいさつのできる大人になるために、大好きな野球を続けて欲しいと願っています。
中学校では約8割の子供達が野球を続けますが、高校まで野球を続ける子供達は約三分の一位です。
中学校までは好きだけで野球は出来ますが、高校では好きだけでは野球は出来ません。
高校で野球を続けるには、本人の努力と家族の協力が必要です。
高校まで野球を続けた子供達の家族は感動をいっぱいいっぱい貰えて、その感動は一生続きます。
だから高校野球はスゴイ!
今年も塩冶スポ少のOBの子供達が高校で活躍しています。
うれしいかぎりです。
(塩冶スポ少のシンボルマークは当社ホームページ作品展示に掲載) |
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| MYデザイン10 (比治山大学硬式野球部) |
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広島市東区牛田新町にある比治山大学の硬式野球部から、Tシャツのデザインの依頼がありました。
写真は黒のTシャツに、胸のワンポイントデザインと、前面のアルファベット文字のデザインです。
比治山大学硬式野球部は、2002年度に創部2003年三部リーグで秋季大会優勝、2004年 春季大会優勝の実績がありますが、現在は四部リーグで奮闘中です。
中国地区では、中国六大学野球リーグ戦と、中国地区大学野球リーグ戦が行われています。
比治山大学は中国地区大学野球連盟に加盟しています。、連盟には現在21の大学が四部に分かれ春季と秋季のリーグ戦を戦っています。
このデザインは、当社の関係者から依頼が来ました。
もちろんデザイン料はボランティアです。
比治山大学硬式野球部の今後の活躍を期待しています。
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| MYデザイン9 (日本ぜんざい学会) |
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ぜんざい発祥の地出雲で、2007年7月日本ぜんざい学会が設立されました。
日本記念日協会で10月31日が、“ぜんざいの日”に登録されました。
そして10月に写真イラストの、日本ぜんざい学会第一号直営店が、出雲大社神門道りに開店いたします。
当社では日本ぜんざい学会ロゴに続き看板部分をデザインさせていただきました。
現在、ぜんざいの関連商品が続々開発中です。当社では、ぜんざいのパッケージのデザイン、関連商品のデザインを展開中です。
全国の皆様、 出雲に御越しの際は、ぜんざい発祥の地出雲で是非ぜんざいをお召し上がりください。
詳しくは日本ぜんざい学会のホームページをご覧ください。
http://www.1031-zenzai.com/
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| MYデザイン8 (アリオン) |
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アリオンは1981年に、レンタルレコードショップとして出雲にオープンしました。
その後、ビデオショップ、ゲームショップ、ネットカフェと斐川、平田、松江、米子に事業展開されてきました。
写真のアリオンのアルファベットロゴタイプは、1990年代に、当社で制作させていただきました。
このロゴは、印刷物、店舗看板、ネオン管、レンタル袋、スタッフユニフォーム等に展開しています。
1993年には月一回発行の情報誌、出雲ミニレポート発行、企画制作は当社で担当させていただきました。
出雲ミニレポートでは、アリオン主催、協賛のイベントを数多く企画いたしました。
若者向けの“ねるとん企画”、親子向けの“宝さがし企画”、“サンタクロース派遣企画”、“映画上映会”、“読者向けのプレゼント企画”等を企画いたしました。ミニレポートは10年間発行しました。
(アリオンのロゴは当社ホームページ作品展示に掲載しています) |
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| MYデザイン7 (島根ヤクルト) |
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ヤクルトの車両デザインは、東京本社から国内販売会社に車両デザインマニュアルが配布され、マニュアルに基づいて各販社から地元看板業者に依頼されていました。
最近では国内販売会社でオリジナルデザインされた車両が走行するようになっています。
島根ヤクルト販売様より、当社に車両デザインの依頼を受け車両デザインをして車両マーキングさせていただきました。
写真は車両マーキングされた軽自動車です。その他に、軽箱バン、大型保冷車が出雲から益田までヤクルトレディー、ヤクルト社員の方を乗せて走行中です。
目立つデザインですので、是非ご覧ください。
ヤクルト400のデザインは、島根ヤクルト本社、支店、センターの社屋、店舗にも、出没中です。
ヤクルト400は、特定保健用食品許可された乳製品乳酸菌飲料です。ヤクルト400は店頭では売っていないのでヤクルトレディーさんから、お買い求めください。 |
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| MYデザイン6 (来客万来イラスト) |
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1970年代から制作してきました来客万来イラストは、当社がかかわったお店の開店祝いに額に入れて贈呈させていただいてきました。
お店によってバージョンを変えて、サイズを変えて制作してきました。
このイラストはお客様のご要望によりチラシや、メニュー、ランチョンマットなどに使用してきました。
今では一般家庭にもミニサイズで増殖中です。
上記写真のイラストは、姫原町の居酒屋Tさんからの依頼で、江田町のカフェPさんの開店祝い用に依頼されたものです。
姫原町の居酒屋Tさんには、当社制の創作書の額を数点展示させていただいております。
これからもこのイラストがバージョンアップしていろんなお店のインベーダーになることを願ってやみません。
出雲の飲食店活性化のために・・・ |
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| MYデザイン5 (松江堀川めぐり) |
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1998年、松江市と観光開発公社と土産品業者が加盟する共同組合松江名産センターが、堀川遊覧船の集客力を観光につなげるため、
松江市黒田町の堀川遊覧の発着基地・堀川ふれあい広場で遊覧船や松江にちなんだ土産品の販売を始めました。
これに先立ち、遊覧船の企画開発に携わっておられたプライムホームズの舟木氏より、堀川めぐりの観光グッズ用アルファベットロゴタイプのデザイン依頼がありました。
上記写真は、夏場などに乗客から要望が多かった帽子で前面に金色の刺繍入りの、赤・青・黒・紺の4色を試作。
その他に、開星高校野球部野々村監督に、堀川にいる亀のデザインを依頼、亀のキャラクターも誕生しました。
2001年には、当社に松江観光の目玉となった、ぐるっと松江・堀川めぐり乗船者100万人達成記念式典イベント企画の依頼も受けました。
記念式典には、堀川遊覧の発案者の故前松江市長の宮岡市長婦人も神戸市から参列されました。
百万人目の乗船者には、「100万人目の記念証」「堀川遊覧船の永久乗車券」「記念品多数」がプレゼントされました。
アトラクションに出演した、たまち保育園の園児代表に、松浦市長と開星高校野々村監督から、この日から発売した堀川遊覧船のマスコット「堀かめくん人形」と「堀かめくんキーホルダー」がプレゼントされました。
出雲市にも堀川遊覧に負けない観光の目玉が欲しいものです。
(堀川めぐりのロゴは当社ホームぺージ作品展示に掲載しております) |
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| MYデザイン4 (神話の夢舞台 出雲) |
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2005年 新出雲市誕生を記念し、出雲市では神話を舞台とした出雲市を、県外に広くPRすることを目的としたロゴタイプの制作を致しました。
元々このコピーは西尾市長の提案で実現したもので、出雲観光大使の田邊氏が当社に依頼していただいて制作させていただいたロゴタイプでした。
「神話の夢舞台 出雲」のロゴタイプはオープンに使用していただけます。
インターネットで出雲市のホームページを検索していただき、各課別検索で、文化観光部の観光政策課をクリックし、「神話の夢舞台 出雲」ロゴについてをクリックすると、ロゴマークの使用取扱いについての説明があります。
使用する場合は「ロゴマーク使用申請書」に記入の上、観光政策課に申請すれば、無償で使用できます。
上記写真右は国道9号線沿い神立橋西詰め出雲市入口付近の広告塔です。
写真左は国道431号線沿い出雲市大社町入口付近の広告塔です。
「神話の夢舞台 出雲」のロゴタイプは、国道54号線沿いの観光施設のPR看板や、JR出雲市駅入口看板、建設会社の現場看板、ホテルの送迎バスのボディー、いずも地産地消振興委員会推奨の焼酎のパッケージ等に使われています。
出雲市のPRに「神話の夢舞台 出雲」のロゴを末永くご愛顧くださいませ。
(神話の夢舞台出雲のロゴは当社ホームページ作品展示に掲載しております)
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| MYデザイン3 (日本ぜんざい学会) |
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2007年、国内で広く食べられている、ぜんざいは出雲が発祥の地だとして、出雲ホテル連絡協議会会長の田邊氏が中心となって、日本ぜんざい学会が設立されました。
ぜんざいは、出雲地方の、「神在(じんざい)餅」に起因しています。
出雲地方では旧暦の10月に全国から神々が集まり、
この時「神在祭(かみありさい)」と呼ばれる神事が執り行われています。
そのお祭りの折に振舞われたのが、「神在(じんざい)餅」です。その「じんざい」が、出雲弁(ずーずー弁)で訛って「ずんざい」、さらには「ぜんざい」となって、京都に伝わったと言われています。
「ぜんざい」発祥の地は出雲であるということは、江戸時代の初期の文献、「祇園物語」や「梅村載筆」(林羅山筆:儒学者)、「雲陽誌」にも記されています。
田邊氏は、これに着目し、専門家に意見を求めながら「出雲が発祥の地であることは事実に基ずく」と確信。
まちづくりと、ぜんざいに関する経済活動の発展に結びつくと考え、学会を創設されました。
日本ぜんざい学会は、出雲観光協会と連携して、10月31日を「1031(ゼンザイ)」の語呂合わせで「出雲ぜんざいの日」として、日本記念日協会に申請し登録が実現。
「出雲ぜんざい」をブランドとして広める活動の展開を始めました。
日本ぜんざい学会のPR活動は、2007年
2月:くにびきマラソンにて、2000食を振舞いました。
5月:豪華客船にっぽん丸が出雲市の大社港、十六島港に寄港の祭
乗客の皆様に、ぜんざいを振舞いました。
5月:全国市長会中国支部にて、ぜんざいを振舞いました。
7月:日本ぜんざい学会設立並びに日本記念日協会登録祝賀会を
出雲ロイヤルホテルにて開催しました。
出雲ぜんざいが、出雲に来たら出雲そばと、出雲ぜんざいを食べて帰らなきゃ、お土産に買って帰らなきゃといわれる日が来ることを願っています。
そのためには、日本ぜんざい学会の事業会員様の、商品普及、商品開発に期待いたします。
当社では、当初から田邊氏からCIデザインの依頼を受け、ロゴタイプのデザイン、マークのデザイン、パッケージデザインをさせていただきました。
※写真は日本ぜんざい学会正会員用法被です。
(日本ぜんざい学会のマークロゴは当社ホ-ムページ作品展示に掲載しております) |
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| MYデザイン2 (大社ご縁祭り) |
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1978年、出雲大社青年会議所のメンバーの方から、新しい祭りのシンボルマークと、ロゴタイプのデザインの依頼がありました。
それが「大社ご縁祭り」でした。
出雲大社の御祭神 大國主大神は、特に「だいこくさま」と呼ばれ、古くから福の神、平和の神、縁結びの神、農耕の神、医薬の神として慕われています。
デザインのコンセプトは、「だいこくさま」「御神火」でした。
「大社ご縁祭り」は、ふれあいを!!結びの神とご神火で!! をキャッチフレーズに、御神火行列、じょうき行列、盆踊りなどが催されました。
「大社ご縁祭り」は、オープニングの前に必ず出雲大社拝殿で“御神火祭”という行事が行われます。
第1回大社ご縁祭りが開催された時、出雲大社の神聖な神火を、初めて外に出していただき、その神火を4本のトーチに分火され、お祓いを受けた御神火ランナー達が、サイドカー付きのオートバイに先導されて町内を四方に分かれて渡っていく、ご神火渡りが行われました。
町内を渡った4本の神火は1本にまとめられ、お祭り広場の会場である勢溜に到着。会場に設けられた三基のご神火台に点火され、祭りの期間中ご神火台の神火は、赤々と燃え続けました。
今では御神火祭は、簡素化されひっそりと行われています。
「大社ご縁祭り」のメインは、“じょうき行列”です。徳川中期の頃に、屋形船や千石船など、思い思いの紙貼りの船を作り、ロウソクを入れて、子供達が夏の風物詩として毎年、七夕の頃から、盆にかけて引いて歩いたものです。
「大社ご縁祭り」では、1年に一度消え行く運命にある、伝統ある「じょうき」を復活させ、じょうき行列を行っています。
今年「大社ご縁祭り」は30年を迎えます。一つの時代の流れを感じます。
※写真は30年前の、第一回ご縁祭りポスターです。
(ご縁祭りのシンボルマーク・ロゴは当社ホームページ作品展示に掲載しています) |
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| MYデザイン1 (名誉町民章) |
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19990年 鹿足郡六日市町(現吉賀町)から功績が顕著な住民、町出身者を対称にした名誉町民の第一号に国際的なファッションデザイナー・森英恵さんが選ばれました。
森さんは昭和元年、同町の外科医の家に生まれ、小学校四年の時に東京に転向。東京女子大国文科卒業後、ファッションデザイナーに。
森さんのシンボルマークのチョウは、同町で過ごした幼い日の春の思い出につながっている。
名誉町民条例の制定は、森さんが文化功労者に選ばれたのがきっかけで、町としても名誉町民の称号を贈り、国際的な活躍をたたえようと、町議会で可決。町内の有識者による名誉町民選考審議会の答申を得て、臨時町会で同意。第一号に森さんを選定した。
森英恵さんは東洋からただひとりパリ・オートクチュール組合に加盟するデザイナーで、
1950年代の日本映画全盛期に、「太陽の季節」「狂った果実」など
多数の衣装を手がける。
1965年、ニューヨークで初の海外コレクションを発表。
1988年、美空ひばりのラストコンサートでの、
不死鳥をイメージした衣装をデザイン。
1992年、バルセロナ五輪日本選手団の公式ユニフォームをデザイン。
1993年、皇太子妃雅子の結婚の儀の際に着用した、
ローブデコルテをデザイン。
1996年、ザルツブルグ音楽祭のオープニングオペラ「エレクトラ」など、
舞台衣装の分野でも数々の仕事を手がける。
1997年、パリにメゾンをオープン。
”東と西の融合”をテーマに創作活動をつづけ、
シンボルマークの「蝶」は世界を駆け巡る。
名誉町民章デザインの名誉ある仕事は、当時、広島に在住の現アロシステム株式会社のO社長からの依頼でした。
その記事は当時の中国新聞に掲載されました。
その後、六日市町は平成17年、旧柿木町と旧六日市町が、合併して吉賀町が誕生しました。 |
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