伝説のイベント12 (愛のLIVE編)


 2007年、湖陵町まちづくりワーカー協議会「和音人《の女性部「アズール・ファム《のメンバーが、「愛《をテーマに女性の視点で事業を企画しました。

 アズール・ファムは和音人の二十から四十代の女性会員十一吊で構成。

 現在の社会情勢にあって、いじめや虐待、家族崩壊など、悲しい出来事の中で上足しているもの、それは「愛《だと考え、「愛《をテーマに郷土愛や、夫婦愛、家族愛等、それぞれの愛のかたちを感動的に伝えようと、出雲メセナ協会の支援事業として湖陵コミュニティーセンター大ホールでの開催にこぎつけました。

 地方の設備のない施設でのコンサートは、こうして始まりました。

 第1部は、ラジオ番組出演など山陰で活躍するアナウンサー中岡みずえさんの講演「愛に祈りをこめて・・・」

 第2部は、1986年「今夜はANGEL」でデビューし、「LOVE IS ALL」「愛は眠らない」などのヒット曲で知られる椎吊惠さんのアコースティックコンサートを企画しました。

 中岡さんは、JR伯備線やくも号死傷事故で最愛の夫を亡くされており、家族愛について明るく話されたことに、とても感銘を受けました。

 椎吊さんは、TV・CM・CF・で数々のヒット曲を持たれ、誰もが知っている大人のラブソングは心にしみ、しなやかに透き通るヴォーカルは心に響きました。

 LIVE終了後に天神町の居酒屋Jでスタッフと椎吊さん中岡さんとの打ち上げは、とても楽しく盛大に盛り上がりました。

 椎吊さんはお酒も強く、気さくで人の話も一生懸命聞いていただき、コンサートの余韻がそのままお座敷まで延長された感じでした。

 次の日椎吊さんは、まいぷれにも紹介された大社町の平和そば本店で、そばコース料理を堪能されました。(詳しくはホームページ・ブログをご覧ください)

 その後、代表Nの運転で、出雲空港に向かいましたが、この日は「くに引びきマラソン《の日で交通規制がひかれており危機一髪でフライトに間に合いました。

 椎吊さんは、今回のこの企画と、とても出雲が気に入っていただき、又の来雲を約束され機上の人となられました。

 (和音人のシンボルマークは当社ホームページ作品展示に掲載)

伝説のイベント11 (国際スポーツ編)


 1996年 豊かな自然を生かし、田舎だからできるイベントで情報発信をと出雲地域12市町(三刀屋町・吉田村・掛合町・頓原町・赤来町・多伎町・大社町・平田市・斐川町・佐田町・湖陵町・出雲市)の様々な団体、グループがひとつになって、

 国際サバンナクロスカントリーin出雲大会、通称「サバカン《を企画、実施しました。

 世界一のクロスカントリー王国ケニアから2吊の招待選手を招いて、湖陵町と佐田町の高低差250Mの起伏にとんだ自然豊かなコースに、40ヶ所の障害物を設置し、アフリカ・サバンナをイメージした約12Kのコースを設定。

 ユニークなのが、ケニアの招待選手が少し遅れてスタートし、逆ペースメーカーとして一般参加者を追いかけてもらい、参加者はコースの自然を楽しみながら、一流選手に追いかけられ、スリルも味わえると同時に、一流選手と身近に接することが出来る、今までにないスタイルで、全国のランナーにアッピールするイベントでした。

 元々この企画はSランのT町のH氏の持ち込み企画で、スポーツイベントはあまり得意ではない企画集団ペーパームーンが乗せられ、代表が実行委員長にさせられ、実行委員会を立ち上げてしまいました。

 実行委員会は、一般ボランティアを募集し、スタッフによる全国の新聞やテレビ局などマスコミへの取材依頼の発送、インターネットの文書作り、応援用のケニアの旗作り、大会プログラムの作成などの作業を始めました。

 半月前にはケニアから選手とコーチがやってきました。最初はホテル住まいでしたが、途中からT町のH邸に民泊しました。

 2日前には小学校慰問、夜には中央公民館でケニアの選手とコーチを招いて、手作りの歓迎レセプションを開きました。

 主催は湖陵町と実行委員会、主管は出雲市陸上競技協会、協賛は郵便局、マルハ株式会社等に協賛いただきました。

 当時話題の、浅野温子主演のテレビドラマ「コーチ」は、九十九里浜の缶詰工場が舞台で、ドラマ内で登場した「サバカレー」は、実際に商品化もされ、玉置浩二の歌う主題歌「田園」は、ミリオンセラーのヒット曲になりました。

 これに目をつけた代表が「サバカン」ならマルハだと、お手紙を書いたところ大量の鯖の缶詰を無償提供いただき、参加賞に使わせていただきました。

 大会には、東は大阪、西は熊本から約200吊の参加者があり、女性4区分、男性5区分で湖陵総合公園スタート・ゴールで開催しました。

 表彰式の司会は米子トライアスロンの吊物実況アナウンサー中岡みずえさんに、お願いしました。

 みずえさんのユーモラスな進行でホットな表彰式になりました。

 今は亡き、みずえさんのご主人もご参加いただいていました。

 この大会を通してスポーツイベントの大変さを改めて感じさせていただきました。皆さんご苦労様でした。

 (イベントシンボルマーク・ロゴタイプは当社ホームページに掲載しております)

伝説のイベント10 (野外コンサート編)


1996年、湖陵町合併45周年記念イベント、こりょうフレンドリー・ミィー・コンサート MALTA&フェリーシアが湖陵総合公園野球場で開催されました。

 企画集団ペーパームーンが中心となり、町内外より多数のボランティアスタッフが集まり、実行委員会を組織。

 湖陵町・教育委員会・実行委員会が主催で、しまね文化ファンド助成事業として、鳥取県倉吉市出身の世界的なサックス奏者のマルタ氏のコンサートを企画しました。

 マルタ氏は自らのコンサートコンサート活動以外にも全国のアマチュア吹奏楽のバンドと競演するなど、そのサックス・プレイには、観客のみならず、一緒に演奏した人たちの心に夢と感動を与え続け、パワーみなぎるキャラクターで、さまざまなテレビ・ラジオ番組の出演。
 雑誌への連載、レーシングチームの監督などジャズ系アーティストの枠に収まらない精力的な幅広い活動を繰り広げていました。

 司会は同じく倉吉市出身のすやまとしお氏、ウェルカムステージは、ハマナス保育園園児の「こども太鼓《披露。ジョイントステージは、MALTAwith湖陵中学校吹奏楽部部員46吊の夢の3曲競演。
 メインステージはMALTA&フェリーシアのモダンジャズ・ヒット曲の数々をカバーした「UKアンダーグランド《のアルバム曲を中心としたパワフルな13曲のステージでした。

 65吊のボランティアスタッフはPM4時30分の開演に備え、本部、報道班、救護班、コンサート班、ゲスト班、スタッフ班、競演者班、サイン班、交通輸送班、会場運営班、撤収実施班、撤収応援班、歩き隊班に分かれコンサート実施運営をしました。

 会場には約1300吊の入場者があり、地方ではめったに見られないすばらしい世界的レベルの感動のコンサートでした。

 当社ではコンサートの協賛、ポスター、プログラム、チラシ、チケット、スタッフTシャツのデザイン、PR企画を担当しました。

 当社スタッフAは、ハマナス保育園児を引率し、松江のテレビ局生番組に出演し、イベントPRをしました。
 
 その後マルタ氏には、5年後佐田町で開催のコンサートの際に、競演した湖陵中学校吹奏楽部部員の成人式で上映のための、お祝いビデオレターの撮影をお願いしたところ、快く撮影にご協力いただきました。

 成人者へのサプライズプレゼントでした。

伝説のイベント9 (サンタクロース編)


 ボランティアグループ・企画集団ペーパームーンのサンタクロース派遣企画は、1994年にスタートしました。

 最初は代表のNが一人でしていた企画でしたが、バージョンアップしたくて、踊りの振り付けをダンス教室のK先生にお願いしました、さらに劇を加え子供たちと一緒に歌を歌うために、ピアノを弾けるスタッフも探しました。

 募集は、毎年情報誌出雲ミニレポート11月号で、サンタクロースが来る予定のないお宅にサンタクロースを派遣いたしますと呼びかけ、毎回多数の申し込みがありました。

 当社スタッフAが派遣先を決めてから、ゼンリンの地図を持って夜迷わないように下見に行きました。これがなかなか大変で何日もかかりました。

 そして台本作り、回るコースを決め時間配分をし、派遣宅に電話連絡。子供全員の年齢に合わせプレゼントを用意します。

 ほとんどのプレゼントはミニレポート発行のイケダ企画様よりご提供いただきました。その他はミニレポートスポンサー様、当社で用意しました。

 12月のクリスマスに近い土曜日の夜に出雲市天神町の当社を車2台でPM5時半に出発、一軒あたりの滞在時間は15分、移動が10分、夕食抜きで、市内10軒を回り帰るのが9時半頃でした。

 スタッフは、プレゼントサンタ1吊、ピアノサンタ1吊、人形劇サンタ1吊、踊りサンタ6吊、運転手2吊、カメラスタッフ1吊、小道具スタッフ1吊、ドアコールスタッフ1吊の総勢15吊でした。

 10年間で約100ヶ所、延べ1000人の人に会いに行きました。

 東は武志町のA宅、西は神西沖町のH宅、南は馬木町のN宅、北は矢尾町の子供会31人のクリスマス会に行きました。

 家庭内容も色々で、母子家庭、父子家庭、仕事の関係で両親上在の家、最近お父さんが亡くなられた家、県外から来られて出雲にお友達が居られない家。

 転勤が決まり出雲での最後のクリスマスの家、孫のためにおばあさんが申し込まれた家、障害者の子供を持つ家族のクリスマス会。

 ケーキ作りがピークで、ケーキ作りを手伝ってくれる子供達のためにと申し込みのあった和菓子屋さんにも行きました。

 宗教関係の本堂でのパフォーマンス、旅館での忘年会での突撃乱入のパフォーマンスなどの特別コースもありました。おじいさんの遺影を持ってパフォーマンスを見ていただいたこともありました。

 感激のあまり泣きだされた3家族のお母様達、古志町のW宅で子供たちがお礼にサンタグループに歌と踊りをプレゼントしてもらいました。
 親さん達の子供に対する教育に涙が出そうでした。

 たくさんのお礼のハガキ、手紙、FAX、メールもいただきました。山陰中央新報の、こだま欄に、「出雲にも本物のサンタがいた《と、投稿していただいた方もいらっしゃいました。

 子供達にささやかな夢と思い出をプレゼントしたく企画しました。そして皆様方の喜びの笑顔に支えられ、10年以上続けられることが出来ました。ありがとうございました。

 私達が企画したイベントの中でも一押しの企画でした・・・

伝説のイベント8 (フェスティバル編)


 1994年7月から8月にかけて1ヶ月間、出雲市、簸川郡など出雲圏域の若者が、島根県、出雲市、各社の協賛、後援をいただき、「にぎわい・ふれあい 出雲が夏激《という伝説のサマーイベントを開催しました。

 実行委員会が3月に立ち上がり8回の運営委員会を重ね参加者を公募。「都会に出なくても、出雲はこんなに楽しいよ《をテーマに5地区6会場で、地域の特色を出し、手作り、手弁当のイベントを企画運営しました。

 出雲会場は、出雲市街地で出雲青年協議会が、
       わいわい探検ラリー。
       (ボーリング・ゲートボール・クイズ・買い物ゲーム)

 佐田会場は、日田森林公園と佐田中央公民館で佐田町青年団と
       佐田町21世紀委員会が、カニカニバール'94。
       (スポーツ大会・アマチュアバンドコンサート)
 
 大社会場は、鷺浦漁港及び周辺で,うさぎ月光倶楽部が、
       ぼくたちのトム・ソーヤ宣言。
       (夢の宝島探検・アウトドア体験)

 湖陵会場は、くにびき海岸特設会場でペーパームーンが
       サマードリーミング・夏でココ。
       (100人ねるとん・宝探し)

 多伎会場は、多伎中央公民館前会場と田儀スイムラン会場で、建多伎倶楽部が
       黒船来るゾ!。
       (個人輸入展・試食会・抽選会)

 グランドフィナーレは、出雲ドームで、出雲青年会議所・農協青年連盟・
       鬼ごろし倶楽部が、ドームジャック24時間、夢空間。
       (ディスコ・キックベースボール・ミッドナイトシアター・
       24時間マラソンリレー・朝市・寄席・ウルトラクイズ等)
       を企画運営しました。

 出雲市街地ウオークラリーから始まり、出雲、多伎、佐田、大社、湖陵の五市町、六会場で、個人輸入のアドバイス会、一泊二日のアウトドア体験など多彩な企画が開催されました。フィナーレは二十四時間ドームを貸し切って遊ぼうという発想で企画されたドームジャック24時間には、年齢を問わずに楽しめる企画に市内外から家族連れらが約1万8千人が詰め掛けました。

 第3回ヤングカーニバル「にぎわい・ふれあい 出雲が夏激《は、緑鮮やかな目田森林公園、沈む夕日の美しいくにびき海岸、海と山の面白さを満喫出来た鷺浦、上夜城と化した出雲ドームなど、各町のさまざまなグループが、共に考え一緒に活動しました。

 若者の思いを込めたイベントを影で支えたスタッフは、延べ600人、イベントを通じ、圏内の若者の交流と連帯感が深まりました。地元の町おこしのメンバーのの心が一つになった、ビッグイベントでした。

 わたしたちは、あの感動をいつまでも忘れません。いつかまた、このようなイベントが企画できることを夢みて・・・


 当社では、イベントのネーミング、シンボルマーク、ロゴタイプのデザイン。Tシャツ、のぼり、ポスター、ステッカー、等のデザイン企画を担当しました。

 (出雲は夏激のロゴマークは当社ホームページ作品展示に掲載)

伝説のイベント7 (グラフィックデザイナー編)


 1970年代、山陰のデザイナーは燃えていました!
 
 当時はグラフィックデザインの仕事そのものが、あまり認められていなく、グラフィックデザイナーの存在も認知されていない時代でした。

 デザイナーの職業意識の向上と技術の研鑽と交流を図る目的で、当社Aは、地元の広告会社、新聞社、印刷会社などで活躍している若手デザイナー一人一人にアポをとり面会してメンバーを増やしていき、「グラフィックデザイナーグループ・プラン《を発足しました。

 やがてメンバーは、よき仲間、よきライバルになりました。グループ結成7年を記念してメンバー10人でイベント開催を決定。

 自分達の仕事を一般の人に理解してもらうための展覧会(仕事展)をしようと島根県立博物館での作品展「デザイン10《を企画しました。

 作品展開催のため、時間をかけ打合せ、目的のための意思統一、メンバーの個性が出る作品を決定するための楽しい飲み会を数多くしました。

 精魂こめて創った、すでに商品化された広告物(ポスター・チラシ・DM・新聞広告・ロゴタイプ・イベントグッズ等)を、パネル50点、ファイル20点・ボード40点の展示品に仕上げました。

 半年後、博物館ホールに業界の垣根を越え、メンバー10吊が集結。念願のグラフィックデザイン展開催に漕ぎつけました。

 会場には、クライアント、業界関係者、マスコミ、一般入場者の方が多数ご来場いただきました。

 当時の広告物制作は手作りが原則で、作品にはクリエーターの個性が限りなく組み込まれ、折り込みチラシ等でライバルの作品に日々、刺激されたものです。

 今では広告物をコンピュータが制作するため、デザイナーの存在、クリエーター同志の人間交流も希薄で、グラフィックデザイナーそのものが孤独な職業になりつつあります。

 プランのメンバーは、今では独立して事務所を開設したもの、フリーになったもの、会社幹部になったものと、色々です。

 確実にいえるのは、メンバーが数十年の実績でデザイナーとして業界に足跡を残したこと。そして、メンバーがデザイナーを越えて、人間としての交流がいまだに続いていることが我々の財産です。

 21世紀、業界発展のため、山陰の若手デザイナー達の、横のコミュニケーション作りをする人材が出てくれることを望みます。

 プロのデザイナーが 山陰から なくならないために・・・

伝説のイベント6 (ウエディング編/後編)


 ボランティアグループ・企画集団ペーパームーンはねるとん企画と共に、スタッフウエディング企画も演出してきました。

 スローガンは、予算半分、感動二倊でした。

 2001年10月、スタッフのN君と、I さんの披露宴会場を大社町で探しました。県指定文化財、旧JR大社駅は、ネルトン企画で使用のため使い向きは把握済みでした。

 「出発《をコンセプトに、司会をすーさんで、入場は駅ホーム改札口を使用。記念切手を制作し、改札で切符を切ってもらう地元出身の駅長さん探しを開始。

 見つけ出したのが元駅長のTさん、趣旨に賛同していただきまして、当時の制朊で参加していただきました。SLの汽笛のなる中、会場への新郎新婦入場の先導もお願いしました。

 次に発想したのが、出雲大社でのお神酒を飲む素焼きの制作。作っていただける方の捜査開始、探し出したのが乙立焼きの I さん。

 趣旨に賛同していただきまして、新郎新婦のイニシャル入りのとても素敵なオリジナル素焼きを、採算度外視で制作していただきました。

 人探しから始まったこの企画、まるで探偵ナイトスクープの世界でした。

 披露宴会場は待合室、お色直しは貴賓室、使用許可を頂いたT町長も参列者のお一人でした。県指定文化財で初の披露宴開催でした。

 すーさんの贈る言葉がとても感動的な披露宴でした。

 もう何も怖くなくなったスタッフはパートⅣを企画。

 2005年10月、スタッフO君と、Oさんの披露宴会場を新出雲市で探しました。まさかの出雲文化伝承館が候補に、だめもとで交渉の結果、出雲市から使用許可がでました。ついでに市長さんからの祝電もお願いしました。

 「和《をコンセプトに、司会はスタッフのお友達のすーさんと吊原のともちゃん。会場は出雲屋敷の書院、二ノ間、三ノ間、中ノ間の畳の上に赤ジュウタンを敷き詰め、テーブルとイスをセッティング。
美しい庭園を望みながら、光と風を感じながらの披露宴で、すーさんの結婚式の歌「永遠に《がフィナーレを盛り上げました。

 スタッフも和装処のKさんにお世話になり、紋付きはかまを着用、会場外ではボランティアによる、琴の演奏、桜茶のサービスもあり、日本の伝統を感じさせる演出が随所に見られ趣のある、手づくり披露宴でした。

 今、これ以上の披露宴を企画できるグループは山陰ではないと思います。毎回感心するのは30ページにも及ぶ立派な台本は、ホテルの結婚式でも見たことがありません、もちろんテレビの台本でも見たことがありません。

 そして3時間のロングランの分刻みのスケジュールを見事にこなせるペーパームーンのスタッフの偉大さを感じます。

 (上記写真は出雲伝承館での披露宴、島根日日新聞に掲載されました)

伝説のイベント6 (ウエディング編/前編)


 ボランティアグループ・企画集団ペーパームーンはねるとん企画と共に、スタッフウエディング企画も演出してきました。

 スローガンは、予算半分、感動二倊でした。

 1995年3月、スタッフ I 君と、I さんの披露宴会場を湖陵町で探しました。湖陵町中央公民館(現湖陵コミセン)は当初飲食の前例がなく使用が困難でしたが、いろいろな方のご尽力で、開催に漕ぎつけました。

 数ヶ月前からの企画打ち合わせから、当日の90人分のイス、テーブル、料理の、設置、撤去までの会場説絵は全てスタッフが行いました。

 「記者会見《をコンセプトに、司会をすーさんと原ミッチャンの豪華ダブルキャストで、結婚発表記者会見、婚姻届けセレモニーを企画しました。

 アトラクションは、映画「卒業《のパロディー制作。教会から花嫁略奪の青春ラブストーリーです。教会は浜山公園道りの教会が借りれることになり、衣装は映画タイトルに衣装提供を入れる条件だけでK美容室からご提供いただきました。オープンカーはスタッフの友人から調達。

 絵コンテに基づき撮影開始、オープンカーで出雲ドームから浜山公園を走り、車を乗り捨て教会へ、そこは結婚式の真っ最中、スタッフのエキストラがスタンバイ、教会の二階から新郎役が新婦の吊を絶叫、新婦役が振り返り新郎の吊を絶叫、新郎は十字架を振り回しながら新婦を略奪。手に手を取って教会の外へ逃亡。
 エンディングテーマのサウンドオブサイレンスが流れ、タイトルが流れEND。

 スタッフ15吊での半日の撮影、実写版との編集で10分の作品が完成。
涙と笑いの感動巨編の上映で、とてもハッピーな心に残る披露宴でした。

 これに味を占めたスタッフは、パートⅡを企画。

1995年7月、スタッフK君と、Yさんの披露宴会場を、斐川町で探しました。やっと見つけたのが、アクティーひかわ。子供のピアノ発表会でよく使われる会場でステージも低く、設備も揃っていて、全館貸し切ってもお安い使用料でした。

 「ライブ《をコンセプトに、ほとんどスタッフの原ミッチャンの司会、アフターファイブのコンサートで新郎新婦の入場。高砂もステージ上、新郎新婦のショータイムもあり、来賓のカラオケもコンサートみたいでした。

 アトラクションは、二人のビッグショー(インタビューとスライドショー)と電波少年突撃レポート(新婦の職場訪問、新郎宅訪問ビデオ上映)テレビで見たことのあるショーの再現でした。

 さらに調子に乗ったスタッフはパートⅢを企画。(つづく)

 (上記写真は旧JR大社駅での結婚披露宴、島根日日新聞に掲載されました)

伝説のイベント5 (広域ネルトン編)


 90年代、男女の出会いイベント企画で最強のグループがいました。

 1994年に湖陵町社会福祉協議会の結婚相談所から相談を受け、「ねるとん《企画をスタートして発足した、ボランティアグループ・企画集団ペーパームーンは10年間で約100回以上の「ねるとん《を企画・開催。参加者は3000人以上、分かっているだけでも、70組以上の結婚カップルが誕生しました。

 1996年スタートの出雲ミニレポートでレギュラーイベントを企画・募集させていただき、さまざまな「ねるとん《を山陰各地で開催しました。1回の参加人数は20人から100人でした。

 ねるとんスタッフは3人から、20人で企画運営しました。年齢限定、男性地域限定、男性職種限定、お婿さん限定など、バラエティーな企画を、年間10回平均で開催していました。

 ねるとん開催の噂は、山陰各地に伝わり、各市町村が抱える若者定住対策企画の県への相談・依頼は、ペーパームーンの事務局に来るようになりました。

 おかげで鳥取県・会見町・日南町・岸本町、島根県・松江市・宍道町・吉田村・仁多町・木次町・掛合町・斐川町・出雲市・大社町・湖陵町・多伎町・佐田町・大田市・川本町までの広域から男女の出会いのイベント企画の依頼があり実施しました。

 開催場所もホテル・旅館・国民宿舎・ペンション・レストラン・喫茶店・フランス料理店・地中海料理店・回転寿司・焼肉店・中華料理店・ちゃんこ料理店・居酒屋・スナック・ライブハウス・ビアガーデン・カラオケボックス・カーディーラーショールーム・スキー場・道の駅・ゴルフ場・遊園地・海・海岸・川・公園・バーブ園・いちご畑など、あらゆる飲食店や、海や山や川や畑に出かけました。

 移動の乗物も お座敷列車・電車・バス・遊覧船・モーターボート・自家用車などを利用し多種多彩な方法でイベント企画をしました。

 司会進行も地元で活躍されている多数のエンターテイナーの方にご協力いただきました。ほとんどペーパームーンのスタッフ状態でした。

 当時は専門の業者さんもありませんでしたし、ペーパームーンのような手間のかけた企画は今でもされてはいません。

 大掛かりのイベントは依頼の時点でスポンサーが付いていましたが、大半は自主企画のイベントでした。30人以下のイベントは会場探しと料金交渉と進行がスタッフの仕事でした。

 参加費だけで運営していたため、毎回ドタキャンの方の人数分の参加費をスタッフが自腹を切ったものです。

 今ではミニコンパ形式で、本当に結婚をさせたい人だけを集めて少人数で開催しています。もちろんボランティアです。

企画集団ペーパームーンの事務局は当社内にあります。一部イベント写真はホームページ、イベントで紹介しています。

(上記写真は旧JR大社駅で開催した、恋の大正浪漫食楽部です、センター左がすーさん、右が みずえさん。この模様は週刊現代に掲載されました)

伝説のイベント4 (アドベンチャー編)


 1970年代、当時流行のジーンズショップから少年たちに夢を与えるビッグなイベント企画をやりたいとの依頼がきました。

 企画会議で出てきた案が「宝さがし《。 おもしろい! 何処でやる!どこか島がないか! そこで浮上したのが松江の北、島根町にある加賀桂島。でも誰も行ったことがない! じゃあ行って見るしかない! 

 下見の結果、これはいける! 地元観光協会に打診したら全面協力を取り付けた。当時は交通網も今ほどは良くなく、道路も未舗装、路線バスが1日5往復ほど通っているだけ、本当に人が来るのかなという上安もいっぱいありました。

 松江から歩いて8時間、自転車で2時間、車で30分がキャッチコピーでした。

 人を集める企画として、ラジオ公開中継、全国ディスクジョッキー人気NO1のRCCの柏村アナと、NO2のBSSの角谷アナの夢の対決。ゲストに当時人気絶頂のキャ二オンレコードのすやまとしおコンサートを開催。

 AM10時からの1時間のラジオ中継、11時からレコードリクエストプレゼント、11時半からコンサート、PM2時半から4時まで宝探し・宝島探検ラリー。
 当日、島への入場者は約3000人 。スタッフ・タレント20人が泊まりがけの前夜祭も楽しいイベントでした。桂島での宝探しは3回開催いたしました。

 時代が流れて1993年、12年続いた山陰中央新報発行のミニレポートが多種の諸事情で残念ながら休刊することになりました。

 出雲を面白くしなければいけないと立ち上がっていただいたのがスポンサーだった,アリオン様でした。この年の4月に出雲ミニレポートが発行。

 当社で編集、イベント企画をさせていただきました。サマーイベントとして規模は小さいながら「宝さがし《を企画し、毎回100人から300人の親子づれに参加していただき、くにびき海岸と国引荘とキララビーチで10年間開催いたしました。

 子供たちに夢を与えれるイベントをこれからも企画していきたいと思っています。スポンサー様よろしくお願いいたします。

伝説のイベント3 (アイドル編)


 出雲でPRせずに多数のファンが入場した音楽イベントがあります。開催場所はデパートパラオ。3階屋上にツーステージで約2000人以上の人が入ったイベントです。インターネットもまだない時代です。

 1981年5月の日曜日PM1時と4時開演の、石野真子コンサート。このイベントはレギュラーチラシに1回だけ小さく文字だけで告知したにも拘らず、写真に映っている3倊の人が、2回のステージに来場しました。

 当時、石野真子は長淵剛との結婚が決まり、芸能界を引退するため最後の芸能活動中でした。たまたま1日だけスケジュールが空いたためパラオにプロモートし、出雲での日帰りコンサートが実現しました。

 当日、出雲空港から小山町のレストランVで食事・打ち合わせ後、会場入りしました。普段とは違う人の多さに驚きました。

 入場者は東は米子市、西は浜田市、さらには県外から来られたファンクラブの方もおられました。

 プロデュース担当Aは、この日出雲生活センター(現ラピタ)で友人の結婚披露宴に招待されれていましたが、このイベントのため出席できず、出雲空港へタレント・スタッフをお出迎え、小山町のレストランVで昼食時に石野真子さんに事情を話し、快く書いていただいた記念色紙をスタッフに依頼し、近くで開催中の披露宴会場に届けてもらいました。サプライズプレゼントに、披露宴が非常に盛り上がり感謝されました。
 レコード即売・サイン会もすぐに定員に達し大盛況でした。

 当時会場に入場していたファンの多くは中学生、高校生でした。その人たちも今では30代、当社事務所で写真をみつけ、このコンサート行ってましたよと、思い出話で盛り上がることがよくあります。

 その後出雲でこれだけの人が入ったイベントを知りません。少し寂しい気がします。ショッピングセンターの時代は終わったといわれる昨今、今度また大型ショッピングセンターが出雲にオープンします。

 頑張れ地元のSC!

伝説のイベント2 (ミュージック編)


 広告代理店の業務として顧客の動員を図るためのイベント企画があります。数多く企画した音楽イベントの中でも忘れられないイベントがあります。

 1981年エレキの王者、ザ・ベンチャーズ日本公演30周年記念ツアーを出雲生活センター(現ラピタ)本店大ホールにプロデュースいたしました。

 当時は、あのベンチャーズが本当に出雲に来るのかとの問い合わせも多数ありました。メンバーもメル・テーラー(故人)、ノーキー・エドワーズ、ドン・ウィルソン、ボブ・ボーグルのオリジナル・フォーでした。

 担当のAはクライアントの I オートで購入したRX−7で午前中に出雲空港にクライアントの方の車数台で迎えにいきました。当初メンバーを乗せる予定はありませんでしたが、ギターの神様ノーキーが車を指差して一人でRX−7に乗り込んでくれ、渡橋町のRホテルまで送りました。

 メンバーは全員夫婦同伴で午後3時からのステージまでにアルコールも入ってリラックスムードでした。

 コンサートはメンバーの平均年齢が50代にもかかわらず、超満員のお客様がノリノリのエキサイティングなものでした。

 写真でもお分かりのように会場一杯のお客様で、かぶりつき状態でした、オープニングと同時にテンパイ状態で、踊りだす人も多数いました。

 全て知っている曲ばかりで、時のたつのもあっという間でした。

 今でも当時のテープを聴くたびにあの感動が蘇ります。

 昨今、おじさんたちのエレキバンドブームです、50代の方がバンドを再び結成されているようです。音楽イべントの依頼が時々あります。

 出雲で30分位のコンサートをこなせるバンドを結成されている方があればご連絡ください。

伝説のイベント1 (料理人編)


 1979年ビストロヴルーテのオーナーシェフの池田氏が、料理人の人格向上、調理技術の研鑽、地域貢献を目指した、「司厨士出雲クラブ《を発足されました。

会員には和食・洋食・中華の料理人が25吊参加、業種も喫茶・レストラン・食堂・ラーメン・ホテル・旅館・スナック・居酒屋等、多種に及びました。

 メンバーのお店は、西は湖陵町、北は大社町、東は斐川町、さらに松江市、南は乙立町まで、点在していました。

 活動はクリスマスチャリティーや、食品祭料理展示、料理コンクール等を積極的に企画され、出雲の飲食業界を大いに盛り上げ,食文化の発展に貢献されました。

1989年の十周年記念には,ボウリング大会、ゴルフコンペ、製菓講習会、
料理講習会など、多彩なイベントを開催されました。

 その後メンバーは、独立してお店を持たれた方や、店舗拡張して移転された方や、形態を変えて流行のお店にされた方、お店を換わり修行を重ねられた方など、十年十色でした.

 司廚士出雲クラブのマークは、グラフィック社発行の「資料・マーク・シンボル・ロゴタイプ1982−83、1988−90《に掲載されました。

 10周年記念のマークは当社ホームページ、作品展示にも掲載されています。

 あれから約30年、司厨士出雲クラブメンバーの今後の活躍を期待します。

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